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中国日記(その2)

2006年9月22日(第5日目)

Sさんがタクシーでユースへやってくる。待たせておいたタクシーに私たちも乗り込み、バスターミナルへ向かう。万里の長城へ行くバスは北西部から出るらしい。しばらく走ってバスターミナルに到着した。バスターミナルと言っても、広い道路のあちこちに停留所があるだけで、バスターミナル、バスセンターというような所ではない。道路が広いので、あちこちバスが停まっていても全然交通の邪魔になっていない。また歩道にもあちこちに屋台が出ていて、お菓子や飲み物を売っている。3人ともまだ朝ご飯を食べていないので、Sさんが麺包(パン)とミネラルウォーターを買ってくる。

万里長城万里の長城行きのバスはすでにいっぱいで、空席が一つしかない。Sさんを座らせて、男二人は立って行く。バスの車内で朝食のつもりだったが、立ちんぼなので当分おあずけになってしまった。高速道路を走り(それでも立ち席OK)、約1時間で万里の長城へ到着する。ここまでのバス代は16元だったそうだ。バスを降りた場所は長城の麓なので山の尾根まで登らなくてはならないが、ロープウェイがあって簡単に登れるようになっている。駐車場にはたくさん観光バスが並んでいる。遠くからも観光にやってくるのか、「京」ナンバー以外のバスも多い。ロープウェイのチケット(40元)を買って一気に万里の長城へ。ロープウェイを降りて外に出ると、またチケット売り場がある。ここからは長城の観覧料(入城料?)らしい。45元のチケットを買って、いよいよ万里の長城へ上がる。山の尾根に沿って延々と延びる長城はまさしくGreat Wallだ。幅の広いところでは5m近くもあって、単なる塀や壁ではない。よくこれだけのものを造ったと感心するとともに、それだけ蒙古の襲来に手を焼いていたということだろう。長城の上面は石が敷き詰められ、急傾斜の部分は階段になっている。さぞかし馬は走りにくかっただろうな。敷石が摩耗しており、時々滑る所もある。山を一つ越えて下りきると、城門になっている。長城はこの先もずっと続いているが、我々はここで出る。記念に写真を撮ろうということになったが、誰かにシャッターを押して貰わなければならない。見回せば、ちょうど警備のお巡りさんがいる。この人ならきっと大丈夫だろう。お巡りさんにシャッターを押して貰って、今まで歩いてきた長城をバックに記念写真を撮る。長城を2kmくらい歩いただけなので、すぐにバス停に戻ってくる。

帰りのバスはそれほど待ち時間もなく、すぐに発車する。道路と並行して鉄道も通っているが、バスの方が圧倒的に本数が多くて便利とのこと。北京市内に戻り、タクシーに乗って昼食へ行く。その後、すぐ近くのイトーヨーカ堂へ市場調査に行く。食品売り場は日本のスーパーマーケットと変わらない。(日系の店だから?) 肉食文化のためか、食肉はとても安い。豚肉なんか100g1元くらいからある。鮮魚コーナーは「韓国産」の文字が目立つ。日本製の見慣れた食品も数多く売っている。
食品売り場の視察の後は、今日も天安門広場へ行く。明るい時間に来たのは初めてだが、とにかく広い。北は大通りを隔てて、天安門が鎮座している。西側は全人代が開かれる人民大会堂、東側は革命博物館、そして南側は毛主席記念堂と革命のレリーフ。至る所で毛沢東のオンパレードだ。新紙幣は全て毛沢東だし、裏では「もうたくさん」と揶揄されているのもうなずける。北京オリンピックのマスコット達が色々なポーズで立っている。4体しか見えないと思ったら、もう一体は寝ていた。寝ているんじゃなくて、魚がモチーフだから泳いでいるところか。午後5時に国旗降納の儀式が行われる。すでに観光客に混じって、北京市民も集まってきている。衛兵も疲れてあくびをしている。午後5時ちょうど、国歌「義勇軍進行曲」が演奏されるなか、掲揚塔の国旗が静かに降ろされる。降ろされた旗は通りを渡って、天安門へと消えていった。その間、天安門前の大通りは通行止めになっている。これが昨日の大渋滞の原因だったのか。Sさんと別れて、王府井をぶらぶらして、麦当労で軽く夕食を食べてユースに帰る。



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2009-4-16 作成
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