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韓国日記(その5)

2005年8月17日(第6日目)

ソウル市庁舎歩いて景福宮へ出かける。途中にあるソウル市庁舎が太極旗で覆い尽くされている。今年は光復60周年ということで特別なのかも知れないが、壮観である。日本では何があってもここまではしないだろうな。そう思いながら写真を撮っていると、通りすがりの人から写真を撮ってくれと頼まれる。市庁舎をバックに写真を撮ってあげると、こちらが日本人であることに気づいたのかバツが悪そうにしている。大東亜戦争で日本が降伏し、韓半島が主権を回復したのは事実である。日本人にとっては屈辱の日だが、韓国人にとっては喜びの日である。反日、嫌韓いろいろあるが、太古の昔からあらゆることで繋がりを持ってきた両国であるし、これからも隣国同士であることは変えようがない。
世宗路の突き当たりの光化門を左に回って、景福宮の西側を北へ進む。景福宮の塀が1km以上延々と続いている。この塀が途切れるあたりに観光バス用駐車場があり、右に曲がるとちょうど景福宮の真裏あたりに出る。都会の喧噪も全く聞こえてこないこの場所に、北冠山をバックに青瓦台は建っている。青瓦台の名の通り、青い瓦屋根が乗っている。青磁の青でもない、藍色でもない、今まで見たことのない「青」だ。正門に警備員はいるが、大統領府という物々しさは感じられない。写真を撮っていると、大陸からの観光客と思われる連中に押しのけられる。「早くどけ」というつもりだろうが、海外旅行のできる連中ですらこの程度のマナーの国である。オリンピックで恥さらしになるのが関の山だと感じた。

来た道を引き返さず、そのまま景福宮の東側へ回って帰る。日本大使館の前へ回ってみると、時期が時期だけにものすごい警備体制が敷かれている。警察のバスが4台も停まっていて、大使館前からはみ出している。菊の紋のパスポートを持っているからもし尋問されても問題ないだろうが、敢えて近づく必要もないので遠巻きに見ながら通り過ぎる。すぐ近くのアメリカ大使館も同様な警備体制である。
警戒中のアメリカ大使館前を通り過ぎて教保文庫へ行く。特に何が欲しいということはないのだが、ソウルへ来ると一度は寄るのが習慣のようになっている。辞書コーナーでOxfordの英英辞典(ペーパーバック)を安く売っているのを発見し、一冊買ってしまう。3ポンド99ペンスの定価がついているが売価は4500ウォンとなっている。どう計算しても4ポンドは4500ウォンにはならない。在庫処分の投げ売り価格なのかも知れないが、500円ではまともな辞典は買えないし、腐ってもOxfordの英語辞典だ。

腹が減ってきたのでどこかで昼食を食べようと思い、近くのオフィスビルに入る。何軒かの飲食店が入っているが、その中の「日式食堂」にはいる。韓国も六日目になると、無意識のうちに日本食が恋しくなっているのかも知れない。チキンカツ定食(6000ウォン)を注文する。日本語の上手な女将がいるだけあって、料理も日本式である。日本大使館も近いし、日本人客が多いのかも知れない。店の内装も料理の味も日本と変わらず、ハングルで書いたメニューだけが韓国にいることを実感させる。
お腹もふくれて、次は「交通カード」を買うためにウリ銀行へ行く。窓口で「交通カード」と言えばすぐに発行してもらえる。チャージが10000ウォンとカードの保証金2が000ウォン、合わせて12000ウォン、これでソウルの地下鉄もバスもキャッシュレスで乗れる。釜山同様、割引きもあるらしい。

旅館へ戻り、部屋で一休みしていると、宿の兄ちゃんが「テレビで「JSA」をやっている」と教えに来てくれる。昨日映画の話なんかしたから、覚えていて部屋まで教えに来てくれたんだ。早速テレビを点けてみる。当然韓国語で吹き替え音声も字幕もないが、何回か見ているのでストーリーは覚えている。板門店へ行けなかったために、板門店を舞台にした映画を見ているのも皮肉な話だが、昼間から寝転がってテレビを見るのもたまにはいいかも知れない。



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2009-1-10 作成
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