中国日記(その1)
2001年9月14日(第7日目)
いよいよSさんの家族とお別れだ。遅い朝ご飯を頂く。韓国で言う「補身湯」、つまり犬肉のスープだ。犬肉といっても、香草で臭みが消えているので全く気にならない。猪より癖がなく、聞かなければ犬の肉とはわからない。ただし牛肉よりかなり高価だそうだ。
朝食を済ませて、今日も街歩きに出かける。Sさんの出身校である延辺大学へ行く。学内は広く、クラブ活動をしている学生も見える。アマチュア無線らしきアンテナが上がっている。部室へ行ってみるが、鍵が掛かっていて入れない。日本語学科があるというので、その教室へ行ってみる。数人の学生が勉強をしている。Sさんに声をかけて貰うが、日本語学科の学生ではないらしい。試験期間中なので空き教室で勉強をしているのだと言う。日本語学科の学生と話をしてみようと思っていたが、いないようだ。教官室には教授と思しき姿が見えるが、教授が相手では、私が気後れしそうなのでやめる。
昼過ぎに家に帰り、昼食を済ませて帰り支度を始める。お母さんが途中で食べるようにと、おかずや果物を持たせてくれる。お兄さんが列車の切符を持って帰ってくる。瀋陽まで二人分の切符が手に入ったようだ。硬臥車で瀋陽まで14時間、どんな道中になるのやら。
4時過ぎに駅へ向かう。お母さん、お兄さん、おばさん、それにお兄さんとおばさんの子どもまで、タクシーを2台連ねて駅へ向かう。夕方の混雑が既に始まりなかなか前へ進めない。駅も多くの人達で雑踏している。本当に中国は人が多い。
改札口が開き、人混みにもまれながらホームへ出る。たちまちホームも人で一杯になる。深緑色の客車が入線してくる。15両くらい連結している。堂々たる編成の列車だ。低いホームから自分たちの車両に乗り込む。席に荷物を置き、入口へ戻る。みんなが見送りをしてくれる。お母さんの目に涙が浮かんでいる。ほんの一週間だったけれど、別れるのがつらい。S家の人達、奥さんの実家の人達、おばさん達、みんなのお世話になりっぱなしだった。本当にありがとうございました。
車内は寝台が櫛形に並んだ昔のB寝台と同じ構造になっている。寝台には、シーツと薄手の布団が備えられている。ポットも置いてある。お茶の葉と湯飲みさえあれば、いつでもお茶が飲めるようになっている。発車するとすぐ、車掌が回ってきて切符を回収する。代わりに席番号の札をくれる。
上段の人は一人は既にベッドに上がって、上でごそごそやっている。もう一人は、通路で酒盛りをしている。中段の人は、窓側の席に座っている夫婦とは思えない二人連れ、そして下段は、通路側の席に座っている夫婦のようにも見えるが、そうではない二人連れ(つまり私達)。列車は揺れもなく快調に走る。保線状態は非常に良いようだ。
窓が少し開いていて、吹き込む風が心地いい。窓の外には大平原が広がる。視界を遮るものなど全くない。これぞまさしく、大陸の風景だ。窓枠に「頭」を出すな、と注意書きがある。中国の人たちは、窓から何でも捨てるので、「頭」を出したら、本当に危ない。下手をしたらビール瓶だって飛んでくるかもしれない。時々車内販売のワゴンが通る。売っているものは、ビールやおつまみ、お菓子など日本と変わらない。ソーセージ(10元)をひとつ買う。弁当の販売も来る。「厨司」の名札を着けている。熱々の弁当(ひとつ10元)を二人分買う。ご飯とおかずのパックがひとつずつ。食堂車で作ったものだろう。相客と交替して窓側に座る。Sさんがお茶を入れる。が、ポットのお湯がぬるくてお茶が出ない。服務員にお湯を替えて貰う。弁当を食べ始める。おかずは結構おいしいが、ご飯は米が良くないのか、あまりおいしくない。と言いつつも、全て平らげる。
夕食を済ませ、一服しようとデッキへ向かう。一応は車内禁煙なのだが、車内のあちこちで煙が見える。隣の車両のデッキに灰皿が付いていて、そこで一服する。湯沸かし器が据え付けられている。一服するうちに、どこかの駅に停車した。車掌が通路の扉を閉める。乗降客のある車両だけ扉を開けるようだ。(自動ドアなんて付いていない)自分の車両に戻ろうとするが、通路の扉は鍵が掛かっている。閉め出されたかと一瞬あせるが、扉が閉まれば通路はまた開放される。これでは、夜中でも乗降客がいたら、扉の開閉をしなくてはならないが、こうした車掌の乗務によって、車内の治安が守られているのだろう。乗務員が大勢乗っていて、合理化の対極にいるのだが、必ずしも合理化が良いことではないと思う。
Sさんが、相客と話をしている。所々聞き取れるので、話の大筋はわかる。その間も、列車は闇の中を走り続ける。11時過ぎにベッドに潜り込む。夜が明ければ瀋陽だ。
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